Linuxカーネルは、1991年に当時フィンランドのヘルシンキ大学在学中だったリーナス・トーバルズが個人で開発を開始した。最初はアセンブリ言語で記述されたターミナルエミュレータだったが、その後、Minixよりも優れたMinixを作るために拡張された。
当時はインテルの80386 CPUを搭載した32bit PC/AT互換パーソナルコンピュータが登場し、それまで32ビット環境を扱うために要求されたワークステーションやミニコンピュータ等と比較すれば遥かに安価に、しかも個人でも入手が可能なものとなりつつあったため、リーナス・トーバルズはこれを使ってUNIX互換の機能を持つOSを動作させてみたいと考えていた。しかし商用UNIXは単純に高価であり、UNIXを模して実装されたMinixもまた教育用という動機からその機能を大幅に簡略化されていたために構造的ないくつもの問題を備えており、いずれもトーバルズの目的を果たすことは困難だった。このためトーバルズは自らOSカーネルの開発に着手し、既に使用していた自作のターミナルエミュレータを改造、ファイルシステムなどUNIX互換のサブシステムとAPIを作成し、GNU Projectのライブラリやツール環境などと組み合わせることでそれらのソフトウェアが使えるようにした。
登場した当初のLinuxの実装は極めて単純なものであり、既存の他のどのようなUNIXシステムに対しても、その機能と実績において比肩しうるものではなかった。しかし当時、フリーなUNIX互換OSを開発していたGNU Projectはカーネル (GNU Hurd) を完成しておらず(2006年現在もなお開発途上である)、AT&TのUNIXもフリーではなく、さらにBSDはAT&Tと係争中だったために、即座に利用可能な形で提供され、スクラッチ開発であることから権利上の問題も抱えていないと考えられる、クリーンかつフリーなUNIX互換カーネルと呼ぶことができるめぼしい存在は、Linuxの他になかった。 PCでも動作する、より本格的でフリーなUNIX(ライク)環境を求める潜在的なユーザーや開発者たちの多くは、当時は主に書籍として流通していた教育用OS「Minix」に流れていたが、トーバルズはLinuxをMinixのメーリングリスト上で公開し、GPLの下で利用可能にすることにした。これはインテルの32bitCPUを搭載したパーソナルコンピュータでしか動作しなかったが、ちょうど32bitパーソナルコンピュータの普及期だったこと、GPLによって誰もが改良可能だったことから、フリーですぐに使用でき、より多くの機能のあるOSを求める人々からの改良を促した。“適切なときに適切な場に居合わせた”ことが、後の大幅な成長に繋がったと言える。